アミアータ山の小さな村に連れて行かれたのは、18年前。そこに生まれ、フィレンツェで一仕事した後はそこからほとんど出なかった75歳のばーちゃんは、いきなり孫がアジア人を連れてきて、さぞかしビックリした事だろう。いや、見た目は全く平静で、いや平静というよりも、まともにイタリア語も話せないアジア人に、なんの興味もにないようだった。強い口調、その歳では普通やらないような田舎仕事をこなす、鉄の塊のような女性。そんな彼女でも、私が彼女の採ってきたキノコや栗、手打ちパスタに興味を持ったのを見て、無骨な感じながらも、だんだん話しかけてくれるようになった。
1926年生まれ、貧しい農家の9人兄弟のほぼ真ん中に生まれ、小学校にも行かず、雨の日も雪の日も、巻き付けた革を靴代わりにして家畜の世話に明け暮れたという。戦後すぐに未婚のシングルマザーになった時は、さぞスキャンダラスで村中の人から白い目で見られたに違いない。そんな人生は、たくましくならざるを得なかったに違いない。
彼女がパスタを打つ様は、まるでマジックのようだった。無造作に粉を目分量でひっくり返し、卵を割っていく。慣れた手つきで生地をこね、圧巻は背の高さほどありそうな長い麺棒で、均一な1枚に仕上げていく。気心が知れてきてから、私は彼女がパスタを打ち出すと横に構え、その技を盗もうとした。写真や動画もたくさん撮った。この姿を忘れないように、いつまでも残しておきたかったのだ。
レシピもいくつか教えてもらった。字の読み書きが出来ないので、いつも記憶しているのを、口頭だったり実践で見せてくれる。そうして私も繰り返し作った「フィレンツェ風スキアッチャータ」は、私も何も見なくても作れるようになった。その話をしたら「ああ、私はもう覚えてないよ」と言うので、「私が覚えてるから大丈夫」と答えると、ふっふっふと肩を揺らして嬉しそうに笑った。
寝たきりになって7ヶ月、最後は意識もほとんどなく、体も終わっている、と医者は言った。「それでも鉄の心臓は止まらないだよね」、ばーちゃんらしいな!と、様々な武勇伝を知る親族で笑った。88歳で大腿骨を折った時は、やめろと言われていた薪運びをしていた。寝たきりになったのも、座っててと言うのに突然立って転倒したから・・・もう少し人の言うこと聞いてればもう少し長生き出来たのに、と言われても、その頭の固さがばーちゃんなのだから、仕方ない。
眠るように息を引き取り、とても安らかな顔をしていたんばーちゃん。望み通り、フィレンツェからオルチャ渓谷を超え、生まれ育ったアミアータ山の村に連れて帰った。今は天国で、先に逝った兄弟とキノコ狩りしたり、パスタを打ってるに違いない。