4月の半ばから、2冊目の電子書籍「トスカーナのおうちごはん(仮名)」制作で新しく写真を取り直すため、トスカーナの郷土料理を毎日のように作っています。作りながら、そして原稿を書きながら思い出すのは、やはりその料理を初めて食べた時の事・・・だいたいが、マンマ(姑)か今は亡きばーちゃんが作ったものが多いのですが、パンツァネッラだけは、フィレンツェ留学で最初の1か月だけお世話になった、ホームステイ先のおばさんのことです。
思い返せば19年前、インターネットもまだまだ普及しておらず、語学学校だけは大阪で通っていたイタリア語学校を通じて提携校で決められたものの、それ以外の情報はなかなか入ってこず。ホームステイか、アパートか?予算もあるのでアパートがよかったのだけど、不安で最初の1か月だけは食事つきのホームステイにしたのです。ちょうど私の入れ替わりで、長く住んでいた日本人男性がおり、彼がいろいろ説明してくれて助かったのを覚えています。そして、彼が「マンマ」と呼んでいたので、私もそのまま「マンマ」と呼んでいましたが、今となっては「普通はシニョーラって呼ぶよなぁ」と(実際、別の部屋にステイしていたアメリカ人高校生2人はシニョーラって呼んでいた)。語学学校では、「シャワーが毎日できない」「態度が冷たい」「ごはんがしょぼい」など、ホームステイ先もピンキリ?だったようですが、私は本当に恵まれていたなぁ~。
マンマはいつも穏やかで優しく、ごはんもとても美味しい。唯一ビックリしたのは、嫌いなものを教えていたのに、山盛りでてきたことがあるくらい?(たぶんド忘れか、私のイタリア語が通じてなかったか)そして、このパンツァネッラ。パンがふやけてぐちゃぐちゃになっているその様に、私は無言でガン見するだけ・・・「郷土料理よ、美味しいよ」と言われ、ぶっちゃけ「きもい!!!」だったのですが、そんなことを言えるわけもなく、まぁ語学力がなく言えないのもあったのですが、パンをできるだけよけてちゃちゃっと野菜だけ飲みこんだのを覚えています。この数年後には、これだけ気持ち悪かったパンツァネッラが大好きになるとは、自分でも作ることになるとは・・・当時は全く予想していませんでした。
たった1か月、されど1か月。1か月はあっという間にすぎ、別れ惜しい所でしたが、アパートは学校を通さずにむ、近所に住むマンマの息子のアパートに行くことになったのでした。え!男性と2人!?と思いましたが、それまでも学生を受け付けていたし、なんせマンマが近所に住んでるし、問題ないだろうと・・・そして、そのリッカルドとは5か月一緒に住むことになるのですが、まぁその5か月も本当に良くしてもらえて、今でもいろんなエピソードがでてきます。
リッカルド宅での生活については、また書きますね・・・しかし、19年も前なのに鮮明にいろいろ覚えているのは、やっぱり初めてのことだらけで、毎日が濃ゆかったんでしょうね。