トスカーナ南部のマレンマ地方、山側には「凝灰岩の町」と呼ばれる3つの村がありますが、その中心的な村がピティリアーノ。凝灰岩の町、という以外に、ピティリアーノには別名があるのをご存知ですか?それは「 La Piccola Gerusalemme = 小さなエルサレム」。
事の始まりは1556年、この地を治めていたニッコロ・オルシー二が、ユダヤ人墓地を作るための土地をお抱えの医者だったユダヤ人医師に与えたことから。その後1598年にはシナゴーグが建設され、オルシー二家よりトスカーナ大公・メディチ家にピティリアーノの統治権が移った後もユダヤ人コミュニティは拡大を続け、1622年、メディチ家によってゲットーが建設されます。それは、村が建設された凝灰岩を掘ってつくられていきました。一時はピティリア―ノの人口の20%ほどを占めていたユダヤ人ですが、イタリア統一後に流出が始まり、また、第二次世界大戦中は相次いで捕らえられてゆくユダヤ人在住者たち。そんな時もピティリアーノの人々はユダヤ人たちをかくまい、コミュニティがなくなった今もかつてのコミュニティをそのまま残し、今に伝えるミュージアムとしているのです。
村の南側のメインストリート・ズッカレッリ通りを中ほどまで行くと、左側にあるのがこの Piccola Gerusalemme。アーチをくぐって階段を降り、右の扉を入ったところがミュージアムの入り口です。入って左側がチケット売り場で、あとはパンフレットを見ながら番号通りに進むだけ。
まずはチケット売り場前の「儀式の沐浴場」。いわゆるお風呂ではなく、ここではユダヤ教徒となった時、女性が月経期間を終えた後や婚姻前などに身を清めるための沐浴場になります。
更に地下深くにあるワイン貯蔵庫。ユダヤ教の食事ルールは厳しく、ワインも無添加の低温殺菌のものだけだとか。
3番目の部屋は2階に分かれており、ユダヤ人の生活に欠かせないユダヤ教の道具、衣装、食べ物などが展示されたミュージアムとなっています。
チケット売り場を通り越した逆側のスペースにあるのが、畜殺場、パン製作場。このパン製作場は年に1回、イースター期間のパンやお菓子を焼くためだけに使用され、最後に使用されたのは1939年だそうです。また、ピティリアーノに住むユダヤ人の多くは紡績関係に従事していたので、その隣に染色場もありました。
そして7番目の部屋に入って→を進み、階段を上がるとシナゴーグに出ます。
1598年に建設されたシナゴーグですが、1960年に崖崩れのため崩壊。しかし、ピティリアーノ市により1995年に再建され、今に至ります。真ん中には祭壇、そしてエルサレムのある方向に設置された戸棚にはモーセ五書が保管されているそうです。現在シナゴーグとして使用されるのは結婚式くらいだそうですが、式典に出席すべきミニアンの不在から、ほんの稀にしか行われません。
シナゴーグの入り口右側には、第二次世界大戦中にナチスに逮捕され、アウシュビッツなどへ移送されて亡くなった方の情報が記されてます。印象的なのは、長い間共存してきたユダヤ人を見放すことなく、カトリックのピティリアーノの人たちが彼らを守ろうと田舎でかくまっていたこと。ただゲットーの生活を保存して伝承するだけでなく、ユダヤ人とピティリアーノの時を超えた共存の姿勢が心を打ちます。彼らの存在は、ピティリアーノの歴史の中の大事な一部分であることがよく分かるミュージアムでした。
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基本情報
La Piccola Gerusalemme
Vicolo Marghera – Via Zuccarelli
4月~9月は10:00-13:00, 14:30-18:00
10月~3月は10:00-12:00, 15:00-17:00
土曜休館