フィレンツェの歴史は、共和国の歴史、メディチの歴史、レオナルドやミケランジェロなどの美術の歴史・・・今でも世界史の教科書に載るような華々しい歴史とは別に、子どもを慈しむ歴史がフィレンツェにはあります。歴史的地区の北側、柱廊のある建物に3方が囲まれたサンティッシマ・アヌンツィアータ広場の東側にある「捨て子養育院」がその舞台。その歴史は1419年、捨て子を受け入れる病院の設立を委任された絹のアルテ(ギルド、職業組合)が時の建築家、フィリッポ・ブルネッレスキに設計を依頼したことから始まります。
こうしてサンタ・マリア・インノチェンティ病院は、その日の聖女の名前をとってアガタ・ズメラルダと名付けられた新生児の女児を受け入れて1445年2月5日に開院。病院で受け入れられた後は里親の元で授乳されて新生児期を過ごし、幼児期に入るとそのまま里親に残るか病院に戻って教育を受けます。1552年~1580年までは男子は教育プログラムに準じて算数、音楽、芸術などを学習、一方女子は読み書きができるようになった後は裁縫や機織りを習ったそう。
1875年に無名での子供の受け入れを中止し、1890年には公営の救済慈善施設となった後、現在は困難な状況にある子どもや母親を保護する社会救済機関として創設の意義を受け継ぎ、また3つの保育園や子供向けのワークショップを開催しています。
建物の北側に残るのは、1875年まで顔を見られることもなく、名前を名乗る必要もなく、子どもを預けることができた窓口。
ミュージアムの中では、タッチパネル式の画面で子供の記録資料を読むことができます。
そして、子どもとともに託された品を見られるボックスもあります。これは家族の状況の好転など子供を取り戻せるようになった時に証拠となる品。多くはメダルやペンダントトップを半分に切ったもので、その半分を子どもとともに預け、家族が持っているその半分を見せることで家族の元に戻ることができたのです。これを子どものおくるみに入れる時、子どもと離れている時、そしてやっと子どもを取り戻せる時の家族の気持ちを考えると、胸がじんと熱くなります。
本当に小さなミュージアムですが、歴史の表舞台にはなかなか出てこない、フィレンツェの慈善精神のあふれる養育院の歴史が感じられる空間です。かつて洗濯場や子どもたちの遊び場だった最上階のバールも超おススメですよ。
ギャラリー(クリックすると拡大します)
基本情報
捨て子養育院ミュージアム(Museo degli Innocenti)
Piazza della Santissima Annunziata, 13 Firenze
Tel : +39-055-2037122
毎日開館、9:00-19:00
※最上階のバールは営業時間が違いますので注意!
火曜定休、11:30-21:30
愛すべき、美しい30の村
飾らない、ありのままのイタリアへ!人口や景観など、「イタリアの最も美しい村」協会が設けた厳しい基準を満たした村だけが加盟を認められる「イタリアの最も美しい村」。その中から、イタリア在住20年以上、トスカーナ州の田舎町に暮らす著者が、“忘れられない”30の村をセレクト。古きよきものが息づく小さな村の魅力を、旅先での出会いやエピソードをちりばめながら綴る。
本の詳細はこちら
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「コロナ・ロックダウン緩和直後のイタリア・フィレンツェ記録写真集(モノクロ版)」
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