ルネサンスを代表する芸術家の1人、ミケランジェロ。元々アレッツォ県のカプレーゼという田舎で生まれたミケランジェロですが、幼少の頃に家族がフィレンツェに移住します。13才の時に彫刻家ドメニコ・ギルランダイオの工房に入るや否やその才能を発揮し、その後の活躍は言わずもがな。彼の有名な作品は、フィレンツェ、ローマを中心にたくさん残されていますが、何気にほとんど知られていないのが、この「Casa di Buonarroti ブォナッロ―ティの家」。
ミケランジェロのお墓もあるサンタ・クローチェ教会のすぐそばにあります。この家はミケランジェロ自身によって購入されたものですが、消して定住先ではなく、1516年~34年のサン・ロレンツォ教会で仕事をしている間に滞在していたと言われています。ミケランジェロの死後はブォナッローティ家を継ぐ甥っ子・レオナルドに引き継がれ、更に彼の息子であるミケランジェロ・イル・ジョヴァネにより、現在の基礎となる改装が30年近くの年月をかけて行われました。現在は、財団によって管理されるミュージアムとなっています。
ミュージアムは1階・2階にありますが、ミケランジェロの作品があるのは2階。階段を上ったホールには、1500~1800年代に描かれたミケランジェロの肖像画が飾られてます。
ミュージアムの宝は2つの彫刻。13才の時に彫刻家ドメニコ・ギルランダイオの工房に入るや否や、その才能を余る所なく発揮したミケランジェロ。その2年後には当時のメディチ家の当主であるロレンツォ・イル・マニーフィコの芸術アカデミーに派遣され、その時に製作したレリーフ作品が、「階段の聖母」(写真はギャラリーにて)。小さな作品ながら、すでに壮大なドラマが感じられる作品として評価されています。この作品は、ミケランジェロの甥っ子であるレオナルドからトスカーナ公のコジモ1世に贈られましたが、1616年に「偉大な祖先への賞賛」として、トスカーナ大公コジモ2世からレオナルドの息子であるミケランジェロ・イル・ジョヴァネに返却され、それから現在までの400年間、このブォナッローティの家に保管・展示されています。
「階段の聖母」の後、同じく芸術アカデミーで製作されたもう1つの作品が、この「ケンタウロスの戦い」。こちらはロレンツォ・イル・マニーフィコに捧げられた作品とされていますが、1492年の彼の死とそれによる政況変更により、作業は止まったそう。いくつもの体と頭が絡み合う迫力あるこの作品は、未完成ながらも、ミケランジェロ少年期の最高傑作とされています。透明感と柔らかさを感じる「階段の聖母」と比べ、躍動感のあるこの作品、私もすっかり魅せられて食い入るように見入ってしまいました。
レリーフの部屋からホールを挟んで向かい側にあるのが、彫刻の粗型の部屋。1664年以前の記述が残っておらず、一時期不明となっていた粗型は19世紀半ばに再発見され、ミケランジェロのものと確定されたもの、不確定なものを含めて、この部屋に展示されています。粗型は、ミケランジェロが若い頃から老いた頃まで年代は幅広く、また蝋、木、テラコッタなど、その素材や技法もさまざま。その中で最も秀逸な粗型が、1530年ごろ製作の「2人の闘士」(上写真中央、アップ写真はギャラリーにて)。最終的に別の彫刻家により製作されたヴェッキオ宮殿前の「エルコレとカークス」や、ヴェッキオ宮殿の500人の間内にある「勝利の守護神」など、どの作品の粗型であるかは確定されていませんが、身体の緻密さや躍動感などミケランジェロ作品の特徴が、この小さな粗型からも十分に感じられます。
そして、見ているだけで感動で涙がでそうになるのが、この素描たち。「芸術家列伝」作者のヴァザーリによると、ミケランジェロは「作品製作の苦労や不完全なものを見られないように」と、大半の素描を焼いてしまったそうです。しかし幸いにも、甥っ子であるレオナルドがローマの市などでそれらを見つけて買い戻し、現在はこの家に200もの素描が残っています。かつては額に入れて展示されていましたが、1960年から紙の劣化を防ぐ現在の展示方法となり、限られた点数が一定の期間で交代で展示されています。なので、時間をおいて再訪すると、また違う素描が見られるかもしれません~これはまた行かないと!
同じく2階の「サン・ロレンツォの製作所」では、メディチの菩提教会であるサン・ロレンツォ教会のためにミケランジェロが計画したものが残っています。1つ目はファサートの木製モデル。現在は未完成で残っているサン・ロレンツォ教会のファサートですが、メィチ家出身の教皇・レオ10世の時代にミケランジェロに計画が託されていたのです。最終的には1520年に契約書は撤回され、その2代後のメディチ家出身の教皇・クレメンテ7世によって工事は再開計画がなされるも、彼の死によって工事が再び行われることはありませんでした。もう1つは、ミケランジェロのサインが残る唯一の大型粗型「川の神」。彼の代表的作品である新聖具室のウルビーノ公のロレンツォ・ディ・メディチとヌムール公のジュリアーノ・ディ・メディチの霊廟の下に、この「川の神」が2体づつ合計4体置かれる予定でした。結局、政況の変化などでミケランジェロがローマに去ったために実現できなかったそうです。
その他の見所は、ミケランジェロの甥っ子の息子、ミケランジェロ・イル・ジョヴァネの計画で装飾を施した4部屋。最初の「ギャラリー」は、ミケランジェロへの賛辞として壁面に彼と法王・権力者との面会のシーンが10枚描かれ、窓側の壁面中央にはミケランジェロの肖像が飾られています。
その後に続く、「夜と昼の間」「天使の間」「書斎」もギャラリーと同じく1600年代半ばまでに装飾された部屋ですが、面白いのが「書斎」。壁面上部には詩人、天文学者、人文学者、哲学者などトスカーナが輩出した偉大な人物の肖像画が描かれ、これはガリレオかな?ダンテかな?と想像しながら鑑賞するのが楽しい!
ミケランジェロ好きな人なら、ダヴィデ像、聖家族、そしてメディチ家礼拝堂などを周られると思いますが、ぜひこのブォナッロ―ティの家も訪問してみて下さい。500年以上の時を越えて、若き日のミケランジェロが目の前に降りてきたように、生き生きとした作品が語りかけてきますよ。
ギャラリー(クリックすると拡大します)
基本情報
Casa Bunarroti
Via Ghibellina 70, Firenze
Tel : +39-055-241752
11月1日~2月28日、10:00-16:00
3月1日~10月31日、10:00-17:00
毎週火曜日、1月1日、イースター、8月15日、12月25日は休館