サンティ・ミケーレ・エ・ガエターノ教会、サン・フレディアーノ教会、サンタ・マリア・マッダレーナ・デ・パッツィ教会、サンタ・マリア・マッジョーレ教会、サン・ミケーレ・アルカンジェロ・ヴィスドミーニ教会、サンタ・トリーニタ教会に続く第6段の、ガイドにないフィレンツェの教会シリーズ。今回も旧市街で、ヴェッキオ橋から至近なので誰もが通ったことがあるはず!の教会です。ただ広場の奥にあるので、この教会に気づくこともなく、そのままピッティ宮殿の方へ向かっていく方のほうが多いかもしれません。

Di Sailko – Opera propria, CC BY 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=907767
歴史好きとして、まず注目したいのは!ファサードの中央に帯のように通っているもの・・・これはかのヴァザーリの回廊=メディチ家の君主が、執務の場であるヴェッキオ宮殿と住まいであるピッティ宮殿を行き来できるように回廊なのです。教会がある場所には扉がついており、下に下りずしてここからミサに参加していたそう。そんな時代を想像するだけで、もう悶絶もの~!
そんなメディチ家ともゆかりの深い教会ですが、起源はなんとローマ時代から。かつての教会があった場所にこの教会が建てられたのは1955年、旧市街の中では最も古い教会の1つとなっています。1384年のペストではこの教会で病人を受け入れ、そして死人から感染しないように石灰をかけて埋葬していた記述が、ボッカチオによって記されているそうです。
当初はロマネスク様式だったこの教会も、ペスト後にゴシック様式に建て替えられますが、現在の姿は18世紀の大改築で、1500年代後半の様式をモデルにしたものです。この改装で手を付けられなかったのは、入って両脇の礼拝堂と、ファサード裏と1600年代製作の内陣席だけだそうです。
そして、この大改装で手を付けられなかった礼拝堂の1つが、入って右側のバルバドーリ・カッポ―ニ家の礼拝堂。
この礼拝堂は、1400年代にかのブルネッレスキがバルバドーリ家のために設計したもの。その後、カッポ―ニ家に売却され、1525年~ポントルモに中の装飾を描かせます。写真左は、いかにもポントルモ!いかにもマニエリズム!の「キリスト降架」。淡い色彩に、なんだか夢の中にひここまれたかのよう。この右側にある受胎告知もポントルモ、また天井四隅にある四使徒のメダルは、ポントルモと弟子のブロンズィーノの作品です。
一方、入って左側はカニジャーニ家の礼拝堂、身廊左右はこの教会の名前にもなっている聖女フェリチタなど聖人にささげる礼拝堂となっています。
そして主祭壇がこちらなのですが・・・こちらは、グイッチャルディーニ家の所有だそう!教会内の後陣や翼廊などに有力家系の礼拝堂があるのはよくありますが、主祭壇、いやこの場合は大礼拝堂と呼ぶようですが、有力家系の礼拝堂とは初めて聞きました。政治界で名をはせたグイッチャルディーニの名は、まさにこのサンタ・フェリチタ広場に面した通りの名前にもなっています。その中でも政治家・歴史家であったフランチェスコ・グイッチャルディーニが、1540年にここに埋葬されてたそう。
その他、聖具室や司教座聖堂参事会室にも1300~1400年代の芸術作品が残っていますが、こちらは残念ながら(少なくともコロナ禍の今は)入ることができませんでした。しかし、教会内部だけでも十分見ごたえがありますよ。
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基本情報
Chiesa di Santa Felicita’
Piazza Santa Felicita’ 3
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